徳島新聞に紹介されました   (株)佐々木材木店

徳島新聞 製材100年の老舗守る 2007/6/9 15:32

徳島新聞より



 阿南市羽ノ浦、那賀川両町を巡っていると、あちこちで製材工場を見かける。徳島県によると、羽ノ浦に十八、那賀川に九あるという。昭和初期から四十年ごろにかけて、那賀川河口流域が西日本有数の製材拠点だったことがうかがえる。

 製材業が発展した経緯はこうだ。旧上那賀町以西のいわゆる「木頭林業地帯」は、全国屈指のスギやヒノキの産地だった。森林を厳しい管理下に置いてきた徳 島藩が、廃藩置県に伴う国への引き渡しに先立って、独断で民間に払い下げてしまった。木は河口へ運ばれ、柱、板材に加工され、また丸太で京阪神などに販売 された。大手製材業者は山林も所有した。

 戦後復興、朝鮮戦争特需に支えられ、一時は好景気にわいた。木材価格も上昇。「雨が降るたびに(木が成長して山持ちが)もうかる」と言われたこともあった。

 アゴヒゲアザラシの「ナカちゃん」が昨年八月まですみついていた那賀川町赤池の那賀川河川敷。その近くの佐々木材木店を訪ねた。同社は一九〇五(明治三十八)年に製材を始め、百年の歴史を持つ。幕末は油問屋をしていたという。

 「長安口ダム建設で、いかだ流送が禁止される昭和三十年まで、河川敷に続々と丸太が運ばれてきました。古い製材所が川の近くにあるのも、人手で陸揚げしていたからです」。会長の佐々木哲也さん(81)は語る。

 一人息子だった哲也さんは五〇(昭和二十五)年に京都大学を卒業して帰郷。家業を継ぎ七八年に五代目社長となった。

 製材業界は激動する。まず五四年から五七年に至る労働争議。各工場の従業員は近隣の農家の人が多く、農繁期休業も設けられていたが、賃金は低かった。戦後の労働運動の高まりで、賃上げ要求が燃えさかった。昭和初期にかけて農民運動が活発だったこの地域の土地柄もあった。

 「ストライキで四十日間、操業がストップ。参りました。結局、労働者とこちらの主張の折衷案で妥結したんです。フォークリフトやコンベヤーを入れ、コストダウンして乗り切りました」

 次の大波は六〇年の輸入自由化。高度経済成長に伴い外材輸入が増大。七一年の変動相場制移行に伴う円高進行で、国産材の価格は低迷した。七九年の第二次オイルショックを契機に木材産業は構造不況に陥った。

 「つぶれた所もありましたな。うちは山を売ったり自分ところの木を切ったりして、しのぎました。でも、その時より今が厳しいですな。家の建て方が変わって県産スギのニーズが減りました」

 合理化を進め、従業員は一時の五分の一の二十人にまで減らした。それでも経営は厳しい。

 徳島県住宅供給公社が分譲した大規模団地「パストラルゆたか野」(同町豊香野)。その一角に、佐々木材木店など林業五社でつくるTSウッドハウス協同組 合のモデル住宅が建つ。TSは徳島スギの頭文字。地元の木を使ってもらおうと、十年前に建てた。入ると、プーンとスギの香りがする。

 「葉枯らし乾燥したスギを使っています。百年は持ちますよ。人に優しい木の家のよさをもっと多くの人に知ってほしいですね」。哲也さんの娘婿で六代目社長の隆雄さん(59)が、木によって違う柱や板の特長を詳しく説明してくれた。

 何とか業界を再生させ、老舗を守りたい。そんな熱い思いを感じた。(経済部・宮本正)
【写真説明】製材の老舗を守る6代目社長の佐々木隆雄さん(左)と5代目の哲也さん=阿南市那賀川町赤池